とある編集者の晒しな日記

コンクリートジャングル東京の編集プロダクションに勤めるライターの実験室

【はてな小町】他人の不幸話の記事を開くことができません

東京の会社に勤める30代の男性です。
いい歳をしてこんなことを打ち明けるのはとてもお恥ずかしい限りなのですが、人さまの不幸な話題に関する記事を、どうしても開くことができず、こちらでご相談させていただくことにしました。

 

過ぎ去った不幸や、記事中で触れられている不幸については読むことができるのですが、タイトルからして現在進行形で不幸と闘っていらっしゃる方の記事やテレビを観ることに耐えられません。

 

不幸といっても、自分が体験したことのあるような経験や病気など、快復可能でアドバイスができるような不幸に関しての記事であれば、読むことができます。

 

しかし、不治の病や克服困難な病気、想像を絶するような苦痛にあえいでいるような方の記事は、とても開くことができません。

 

「同じ病気と闘っている人たちに少しでも勇気を与えられるように」

 

といった意志で病状を報告されたりする方がいます。同じ病気と闘っているわけでもない私が、そういった方の記事から何を読み取り、どのような言葉をかけてあげればいいのでしょうか。

 

もちろん他人事ではないのだから、そういった不幸の予備軍としてそのメッセージをこの目に焼き付けておくことはできると思います。しかし、実際に私が彼、彼女たちと同じ境遇に置かれるような立場になったとしたら、わかりませんが恐らくただただ狼狽するのみだと思います。

 

私にできることと言えば、そういったタイトルを見て、心の中で快復を祈るばかりです。「がんばって!」「諦めないで!」などと声援を送る勇気はとてもありません。「まだ若いのに気の毒に…」なんて思うことすら憚られます。

 

本当に、相手のことを自分に置き換えて考えると辛くて仕方がないのです。小心者だと思われても仕方がありません。不慮の事故や不幸に見舞われた方の話を真剣に聞いていたら、「なぜ私ではなくて、この人がそんな不幸に遭わなければならないんだ」と要らぬ想像をするほど気を落としてしまいそうなのです。

 

仮に私がそうした未知の不幸に見舞われたとしたら、このブログにその不幸の経緯を書き記していく気力などとてもないと思います。同じ境遇の方に勇気を与えるほどの影響力もありません。みなさんは、そうした経験したこともない他人の不幸をみて、何を感じどんな気構えでいて、どんな言葉をかけますか?

 

何か良い対処方法があれば、アドバイスのほどよろしくお願いいたします。