とある編集者の晒しな日記

コンクリートジャングル東京の編集プロダクションに勤めるライターの実験室

男女に友情は必要ない

忙しいので今日も口語体で失礼させていただく。ありがちなテーマだが、今回は他でもない「男女に友情が存在するのか?」ということについて、私なりに出した解答を提示させていただきたい。率直に言って、男女に友情は存在しない。もとい、正確には「私には男女の友情は必要ない」というのが結論である。その理由について考察していきたいと思う。あくまで個人的な意見なので、お暇な方だけお付き合い願いたい。

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ご存知の方もいるかも知れないが、何を隠そう私は以前「女性をどこまで理解すればいいのか?」というエントリーで炎上させていただいた者である。

 

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この記事のコメントとしていただいた意見として多かったのが「『女性』を一括りにすべきではない」といった内容のコメントであった。そのコメントへのリプライはその次のエントリーでもさせていただいたのだが、改めて言うと、女性が私のことを「一人の人間として見てくれない」のだ。

1.男女分け隔てなく人間として相対すべき

この意見には賛同する。実際私は今まで、相手の職業や年齢、性別、容姿、収入などで態度を変えたことはほぼ無いといっていいほど相手を尊重してきたつもりだ。私自身さまざまな階層の方と関わってきたからというのもあるが、根本的な思想として「どんな人間でも私の知らないことを1つは知っているはずだ」という理念のもと、相手を蔑んだこともなければ対応を変えたこともなかった。

しかし女性が私を「男扱い」するのだ。元を辿れば大学時代にまで遡るが、あるイベントをきっかけに知り合った女性と一ヶ月ほどほぼ毎日行動をともにしたことがあった。ネクラな私とは対照的に彼女はとても明るい子だったが、会った瞬間から気が合った。イベントは有償の仕事のようなものだったから、毎日目標に向かって懸命に取り組んだが、そのコといることで毎日を楽しく過ごすことができた。ただし、私は彼女に対して恋心を抱いたことは一度もなかった。

第一、当時私には彼女がいた。それをイベントの時の女性にも伝えていたし、彼女がいると思えば恋愛対象になど無いと思うのが普通だろう。その丸一ヶ月の長期に渡るイベントが終了しかけた頃、二人でいる時に私は声をかけた。

「二人で過ごした時間はとても楽しかったし、こんなに気の合う女性も珍しいと思う。俺は君をまるで兄妹のような間柄だと思っている」

と。だがこの時彼女の表情が曇った。「そうかなぁ、私たち兄妹かなぁ」というと、彼女は俯いて一筋の涙を流した。私にはその光景が不思議でならなかった。彼女がいるということはとっくに伝えていたし、私に気があるなどとはまったく考えておらず、「異性として見ていなかった私が悪かったのか」といたたまれない気持ちになった。

2.繰り返される勘違い

同じ過ちはその後も続いた。大学の後輩で同じサークルに所属していたその女性は、サークル内のゴタゴタした人間関係についていけず、相談に乗ったりしていた。結局彼女はサークルを辞めてしまったのだが、その後のことについてはアドバイスをした私にも責任があると思い時々話をした。

私は当然その女性にも彼女の存在を伝えていた。しかし、ある時その女性から好意があることを告げられた。彼女がいることを知った上で気持ちを打ち明けられたのだ。最初に挙げた女性もそうだったが、性格も容姿も申し分なかった。正直なところ、この時は彼女とすれ違いが多くうまくいっていなかったこともあり、迷いが生じてしまった。浮気をするぐらいならともかく、本気で好きになりそうな気さえした。しかし、私は当然当時付き合っていた彼女を優先すべきだと考えたし、事実丁重にお断りした。

下記のエントリーでも書かせていただいたが、その後も彼女がいるにも関わらず好意を寄せられることが何度かあった。「八方美人だから勘違いされるんだ」と言われればその通りかも知れないが、前述したとおり私は男女で一切対応が変わらない。あくまで一人の人間として尊重するのみだ。

 

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3.さすがにそれはないだろうと思ったある事件

これも以前のエントリーで述べたが、私に「女性」という括りを強く植え付けたのが数年前の「一度でいいから抱いて欲しい」事件である。ちなみにモテ自慢をしているわけでも何でもない。何しろ片手に余るほどしか付き合った経験が無いのだから、モテるという範疇には入らないと理解している。

エントリーを読んでいただければ分かると思うので端折って説明するが、暮れも押し迫った年末の靖国通り沿いで、彼氏ができたばかりだという元同僚の女性から、「抱いて」と「抱けない」の押し問答となった。

「彼氏ができたばかりなんだから相手に悪いだろう!」という私の指摘に対して、まるで甘い物は別腹と言わんばかりの「それとこれとは別」という有り得ない「抱いてHOLD ON ME!」攻撃だ。さらには当時この件を相談した女友達からの「女心をわかってない。『一度抱いてくれたら諦めて次に進める』という心理が女にはあるのよ」という理屈の通らないアドバイスだ。「一回ヤラせてくれたら君のこと忘れるからこの通り!」と言って土下座する男のようなものであるm(__)m

「減るもんじゃないんだから、一回くらいいいじゃん!」というフレーズを聞いたことがあるが、こんなところで使っていたら、確実に擦り減って一回り小さくなるのだよ。伝家の宝刀はそう簡単には抜けないのさ…

4.当の本人がこのブログを見ている可能性がある

実は冒頭の女性は今でもたまにやりとりがあるのでこのブログの存在を知っている。しかしこのエントリーを読んでいないことを願いたい。いや、個人的には読んでもらっても構わない。門戸は開かれているのだから、好きなら好きと言え。付き合うかどうかは別だが。

抱いて欲しいだの突然抱きつかれるだの、こうしたトラブルが絶えなかったが、あと数年もすれば男性として見向きもされなくなる正真正銘のおっさんになっているはずだ。もちろんそうみすぼらしくない年の取り方はしたいと思っているが。

5.男女に友情が成立しない理由

そろそろまとめに移りたいのだが、区別したらしたで「『女性』を一括りにすべきではない」と言われ、しなかったらしなかったで「八方美人」と揶揄されるのだ。ならば最初から女性など友達に持たなくていいのだ。少なくとも今この時期にである。そもそも異性の友情などお互いの結婚とともに薄くなるのだ。いや、関係が薄くならなければいけないと思う。

私はあまり女性に執着するタイプではないのでどこで何をしようと勝手だが、仮に結婚することになったら「絶対に何もないタダの友達だから」とパートナーを男友達と遊びに行かせるほどの無関心にはなりたくない。それぐらい夢中にさせてくれる女性にお会いしたいものである。

逆にパートナーを不安にさせないためにも、結婚したら、間違っても女友達とふたりきりで会うようなシチュエーションは避けたい。私は「この世で自分にとって大切な女性一人がそばに居てくれれば、それだけでいい」という以前出した答えに変わりはない。それ以外は「その他大勢の女性」でいいではないか。

6.まとめ

もちろん年齢とともにこうした考え方は変わるかも知れない。しかし、今のところは本当に「心の底から愛せる」と思える女性を見つけることが先決だ。それができなければ老後は誰に世話をしてもらうこともなく独りで静かに余生を過ごすことだろう。そういう人生でも構わない。お一人様でもいいじゃないか。その時には考え方が変わって、本当に心の隙間を埋める女友達が必要になるかも知れない。

逆に、もし死ぬまでに結婚することができるのならば、嫉妬するほど愛したい。本気で好きになれる人に会ってみたい。「本当に女性のことを好きになったことがないんじゃないの?」と女友達に言われたからというのもある。可能なら、「この人以外の女性には興味もないし友達として会いたくもない」というほど人を好きになってみたい。

ちなみに、以前「類は友を呼ぶ」といったご指摘もいただいたが、思わせぶりな態度を取るからしょうもない女ばかりが寄ってくるというような主旨のコメントであればご容赦いただきたい。私の男としてのレベルはともかく、女性のレベル云々ということは読者にはわからないはずである。

もっとも、今後誰かひとり自分にとって大切な女性一人がそばに居てくれるようになれば、その他大勢の女性とは知人ぐらいはともかく、友達には格上げされないだろう。わざわざ格付けする必要がないと言われようとも、視野狭窄になると言われようとも、生涯にただ一人愛することができる女性が居てくれれば、その人だけを見つめて生きていけばいいのである。その人のためにも、男女の友情など必要ないのだ。