とある編集者の晒しな日記

コンクリートジャングル東京の編集プロダクションに勤めるライターの実験室

【教えて!はてな】新聞記者の仕事はAIに取って代わられるのではないか?

時間がないのでまたしても口語体の略儀で失礼する。 メディアに関わる者として極めて不適切な疑問なのだが、考えれば考えるほど問題がそう単純ではないため、あえて書かせていただきたい。

 

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私事で恐縮だが、わが家では恥ずかしながら紙媒体の新聞の定期購読は一社しか行っておらず、他の数紙はデジタル版で済ませてしまっている。最近ではその一紙ですら目を通さず会社に行ってしまうことが多い。会社に行けば好きなだけ新聞が読めるということもあるのだが。

 

一般社団法人日本新聞協会によれば、実際のところ、2000年に約5,370万部あった新聞の発行部数は、2015年には約4,425万部と、減少の一途をたどっている。無断転載が禁じられていたため、詳細は同協会の下記HPでご確認いただきたい。

 

http://www.pressnet.or.jp/data/circulation/circulation01.php

 

顕著な傾向は、スポーツ紙の発行部数が同年の比較で約637万部から355万部と、過去15年で半分近くにまで落ち込んでいるということだ。これはスポーツ紙の、読者を煽るような記事が信頼性に欠けるため、どちらにせよ信頼性が不十分な記事であれば、ネット上のニュースを読めば事足りてしまうというのが本当のところだろう。

 

私は新聞づくりのプロではない。プロではないが、この事態を由々しき問題だと捉えている。プロではないからこそ、素人の目線に立って、新聞の存在意義というものについて簡単に考察してみたいと思う。

1.インターネットの利便性

今日、インターネットで検索すれば大概の情報は手に入る。むしろ、インターネットよりも新聞の情報の方が遅いほどの時代である。リオ・オリンピックの結果はネットでリアルタイムに実況されるし、重大事件はツイッターで瞬く間に拡散していく。しかも、扱う媒体が限られているわけではなく、様々なアプリやサイトから同じテーマの記事を多角的に読むことができる。偏向的な論調の新聞を一方的に読まされるぐらいなら、インターネットの記事を自分なりに整理して頭に入れた方がよっぽど役に立つと思えてしまうほどだ。

 

しかも、例えばこのはてなブログはてなーの方々の中には、専門家と言えるほどの知識を持つ方がいる。コメントから新聞よりよほど為になるような知見を得られることもある。

2.新聞の定期購読をやめることのメリット

毎月定額を払って新聞を購読していると、妙に損をした気分になることがある。思いついた理由を挙げると以下の通りだ。

・新聞が物理的に邪魔になる

・手が汚れる

・回収日に新聞を出すことを忘れると紙ごみが貯まり続ける

・読みそびれてしまった新聞が丸々無駄になる

・新聞代金の回収が来ると何故かぼったくられた気分になる

・ネットで見た記事を読み直した段階ではもはやニュースとは思えなくなる

などなどである。思い切って新聞の定期購読などやめてしまえばこうしたお悩みとはおさらばだ。

3.事実を伝えるだけならばAI(人工知能)にもできるのではないか

単純に事実をそのまま5W1H(いつ:When、どこで:Where、誰が:Who、What:何を、なぜ:Why、どのように行ったか:How)のアルゴリズムに落とし込んでしまえば、新聞記事の執筆などAIにでもできるようになる日が来るのではないかと想像してしまう。

例えば、株価の値動きの記事は、安値に触れたか高値に触れたか数字を示して、「本日(いつ:When)の東京証券取引所第一部(どこで:Where)の日経平均株価は(誰が:Who)、世界的な株高の影響を受け(なぜ:Why)、前日の終値に比べて300円高い17000円(何を:What)と、3か月ぶりの高値をつけた(どのように行ったか:How)」と定型の文章にあてはめれば、今すぐにでもAIで処理することができるのはないだろうか。

 

実際のところオートマティックに処理されているのかも知れないが、少なくともAIで管理した方が正確ではないだろうか。

4.それでも人間が新聞を書き、それを購読し続ける理由

さて、ここからが勝負である。こういった諸々の事情を鑑みても、やはり新聞は人間が書くべきで購読もするべきだという反論を私の少ないオツムでしていきたい。できれば読者の方々のご意見もお借りしたい。

 

そもそも新聞は人間が書くから読み応えがあるのだと個人的には思っている。イデオロギー的なものも含めて、記事に人間の血が通っていなかったら、そこから何かを感じ取る読者の感性のようなものも失われてしまうような気がする。

 

また、新聞というのは非常に正確性が担保された媒体だと言える。「日本初の偉業」「30年ぶりの快挙」などといった見出しが躍った場合、これが間違いであった場合には、新聞社そのものの信ぴょう性が疑われる。その意味で、新聞の正確性とスピードの両立には目を見張るものがある。「裏付けの取れた情報」として、新聞というのは抜かりなくできているはずのものである。

 

さらに、新聞は極めて論理的に書かれている。誤字脱字もほとんどない。正しい記事を正しい文章で読むということの大切さ。そしてインターネットでは斜め読みしがちな記事の詳細を、線を引きながら読み、自らの血肉にして発想力を鍛えていく。

 

そのためには、例え一紙でもいいから全国紙(もしくは地方紙等)を購読して物事の正しい理解というものを養う必要があると考える。もちろん、中には正しい理解なのか怪しい新聞もあると思われるかも知れないが、新聞に疑いを持ち、自分なりの意見を持つということも大事なのではなかろうか。

5.結論

駆け足できてしまったのでお見苦しい点も多々あったと思うが、新聞の将来が明るくないことは世界的に見ても明らかだと思う。偏向報道をするくらいだったら、AIが企業や行政のプレスリリースなど(リリースが正しいことが大前提なのだが)を5W1Hで整理し、もしくは信頼に足る裏付けの取れた情報源を記事にしてしまえば、恣意的な記事というのはほとんどなくなるように思う。そういった意味でもAIで紙面を構成する新聞があったら、全国紙と比肩する媒体になり得るのではないだろうか。少なくとも選択肢の一つには入りそうだ。

 

しかし、さきほども述べたように、「人間の人間による人間のための」新聞であるからこそ、記事によってもたらされる論理的思考力や批判精神といったものが生まれるのではないだろうか。そういった意味で、新聞の存在意義というものを問い直す、非常に重要な時期に来ているのではないかと思料するものである。

 

例えば、少子高齢化の進んだ日本では子供の数も減ってきているのだから、小学校や中学校の生徒に好きな新聞を一紙購読させ、国語の授業の代わりに1時間目の授業を新聞の通読と、気になった記事の感想を書かせる授業にあててはどうだろうか。

 

完全なる無責任な思いつきだが、私のブログを含め、有象無象の情報氾濫社会でどの情報に頼ればいいのかわからなくなるほどの漂流時代にあるという危機感がある。ともすれば、新聞記者が本当にAIに取って代わられるほど価値の薄い存在になりかねないと思っている。

 

乱筆乱文で大変申し訳ないが、そんなことは杞憂だと言ってくれる読者が大半であることを祈りたい。